人材の囲い込みは上司の姿勢の問題ではなく、チーム成果だけで管理職を評価し欠員補充を約束しない仕組みが生む。管理職が部下を手放さない理由を実証研究から読み解き、異動承認の期限、欠員補充の保証、露出型研修の名簿点検という三つの運営基準に整理する。

人材の囲い込みはなぜ「良い上司」のもとで起きやすいのか

「良い上司が異動を止める」という見出しと固く閉じたフラットなバルブハンドル一つを配した人材の囲い込みのアイキャッチ画像

社内公募の締切が過ぎたのに、応募は二名だった。募集要項は社内ポータルの先頭に置き、案内メールも三度送り、応募資格もできるだけ広げた。人事が個別に確認すると、返ってくるのは同じ一文である。「上司から、今は難しいと言われまして」。制度は動き、人は動かなかった。

人材の囲い込みとは、管理職が自分の部署の有能な部下を他部署へ出さないよう、表に出ない形で異動の経路を狭める行動を指す。正面から反対することは少ない。公開される評価区分をひとつ下げ、目立つ研修の名簿から名前を外し、キャリア面談を次の期へ先送りする形をとる。

人材育成の観点から結論は明確だ。部下を手放させないのは上司の人格ではなく、チーム成果だけで管理職を評価し、欠員補充を約束しない人事の規則である。 この規則を残したまま公募システムを刷新しても、管理職はより静かで追跡しにくい方法で同じことを続ける。

上司を責める前に、そのポストの損益計算を読む

優秀な部下が隣の本部へ移ると管理職に何が起きるかを計算すれば、答えはすぐ出る。今期のチーム目標は変わらない。欠員は要員計画の枠に戻り、次の見直しは期末である。採用が認められても、募集、面接、入社待ちで数か月かかる。新しい人が前任者と同じ水準に届くには、そこからさらに半年を要する。

その間、チームの数字は管理職の名前で記録される。人を育てて送り出した実績はどこにも残らない。この状態で部下を出さない判断は怠慢ではなく合理である。会社が管理職に求める二つのこと、すなわち今期の成果と人材育成が別の方向を向いていて、報酬は前者にしか結びついていない。

この構造を残したまま「人材は会社の資産であって部署の資産ではない」と唱えても効果は薄い。管理職はその言葉に反対しているのではない。同意したうえで、自分の損益計算に従っているだけである。

管理職の55%が「部下の育成は利益相反だ」と答えた

この計算は推測ではない。経済学者のイングリッド・ヘーゲレは、従業員20万人規模のドイツ製造企業の人事記録に管理職と従業員への調査を重ね、管理職がどのような誘因のもとで判断しているかを測定した。分析対象は同社で最大の内部労働市場にあたるホワイトカラー・管理職3万人以上で、回答した管理職は全体の62%である。

人材の囲い込みを生む管理職のインセンティブ不一致を示すFigure 1の回答分布

同研究の原文33ページ、Figure 1。管理職の96%は自らの関与が部下のキャリアに大きく影響すると答えた一方、その影響がチーム成果と同じだけ会社に評価されていると考える管理職は36%だった。育成実績が自分の報酬や昇進に重要だと答えた割合は40%である。

最も目を引く数字は55%だ。管理職の半数以上が「部下のキャリア開発を支援することは利益相反を伴う」に同意した。よく育てた人ほどチームを離れる確率が高いからである。実際に囲い込みにあたる行動をとったと自ら答えた管理職は75%だった。

ここで読むべきは個人の道徳性ではない。96%と36%の差、そして87%と40%の差である。管理職は育成が会社に大きな価値を生むことを理解している。同時に、その価値が自分の評価表には入ってこないことも理解している。

上司をためらわせるのは忠誠心ではなく欠員補充の難しさだ

同じ研究で、管理職の68%が「失った人材の補充がもっと容易なら、部下のキャリア開発をより積極的に支援しただろう」と答えている。この一文は問題の所在を移し替える。争点は上司の独占欲ではなく、補充の見通しが立たないことにある。

囲い込みの強さはチームの状況によって変わった。チーム規模が小さいほど、そしてそのポストを埋めるのに実際に要した平均日数が長いほど、囲い込みの効果は大きく現れた。管理職の報酬に占める成果連動部分の比率が高いほど、また個人の働きがチームの外から見えにくい部門ほど、その傾向は強まった。

つまり囲い込みは性格類型ではなく条件反応である。次の条件が重なるポストほど、異動は強く止まる。

  • 人数が少なく、一人抜けると業務を引き取る相手がいないチーム
  • 同じ職種の欠員補充に平均して長い日数がかかるポスト
  • 管理職の処遇が短期のチーム指標に強く連動しているポスト
  • 個人の貢献がチームの外からは見えにくい機能部門

この一覧はそのまま優先順位になる。全社的な呼びかけよりも、この条件に当てはまる職種群の補充ルールから手をつける方が効く。

上司が交代した途端、社内応募が78%増えた

囲い込みが本当に異動を止めているかを確かめるには、上司の誘因だけが一時的に消える状況が要る。ヘーゲレは、管理職の異動が確定した直後の短い期間を用いた。出ることが決まった上司には、もはや部下を引き留める理由がない。

平時2.9%だった部下の社内応募率が、その期間に2.3ポイント上がった。相対値で78%の増加である。上司についていこうとする動きではない。応募の97%は自チームの外、しかも上司の異動先ではないポストに向かった。社内異動は増えたが、社外への転出はほとんど変わらなかった。塞がれていたのは転職意欲ではなく、社内の経路だったということだ。

増え方は一様ではない。評価と経歴が良い部下ほど、そして囲い込み傾向の強い上司の下にいた部下ほど反応が大きかった。囲い込み傾向が上位三分の一に入る管理職が離れたとき、応募は平均3.6ポイント増えた。引き留められていたのは、まさに会社が別のポストに就けたい人材だった。

応募が増えたポストの位置も、この解釈を裏づける。増加は現所属に近い募集、つまり同じ本部・同じ職能・同じ事業所の中の公募で特に大きかった。上司に気づかれやすいポストほど、普段は強く抑えられていたことになる。社内公募のデータを部署別に読むときは、応募総数ではなく近距離と遠距離の比率を分けて見るべきだ。

社内公募制度があっても、承認の慣行が応募を止める

日本企業の社内公募規程を読むと、多くは本人が直接応募でき、所属長の事前同意を必要としないと書かれている。文書のうえでは経路は開いている。問題は文書の外で起きることだ。応募の前に直属上司へ一声かけておく、いわゆる事前の了解が事実上の第一関門になっている職場は珍しくない。規程はそれを求めていないのに、求められていると社員が感じている時点で、経路は半分閉じている。

同じ研究の従業員調査では、41%が応募を知られた場合の不利益を恐れて社内応募をためらうと答えた。25%は規程が求めていないのに、応募前に上司の了解が要ると感じていた。16%はチームを離れる応募そのものが不義理と映ると答えた。キャリア形成の最大の障害を尋ねた自由記述で最も多かった回答は、上司からの支援の乏しさだった。

制度と慣行がずれる場所はおおむね三つである。

慣行が生まれる場所 いまの既定値 社員が受け取る合図
応募の露見 応募と同時か書類段階で現所属長へ通知 受かってもいないのに裏切り者になる
承認の待機 部門調整の名で期限なく保留 反対はされないが結論も出ない
引き継ぎ期間 送る側と受ける側がその都度交渉 上司が強ければ異動日は延び続ける

三つとも規程違反ではない。規程が定めなかった空欄を、力関係が埋めた結果である。囲い込みを減らすには、この空欄をルールで埋めるしかない。

確認の方法は難しくない。直近一年の公募案件について、応募日、現所属への通知日、最終合格日、実際の異動日を一行に並べる。合格日と異動日の間が突出して長い案件が集まる部署があれば、そこは反対をせずに異動を遅らせた部署だ。この表はどんな調査よりも正確に承認の慣行を映す。

研修の機会を止めることが最も静かな囲い込みになる

人材開発の担当者がこの研究で必ず見るべき箇所がある。ヘーゲレは管理職の囲い込み行動を測る二つ目の方法として、目立つ研修機会への参加制限を用いた。その結果は評価区分による測定と、方向も大きさもほぼ一致している。

役員が同席するプロジェクト型研修、他部門と混ざる次世代リーダー選抜、社外発表を伴う専門課程は、学びの機会であると同時に露出の機会である。上司がそこから名前を外すのに承認は要らない。「今期は日程が合わない」の一言で足り、記録にはチーム事情による調整として残る。

だから研修参加者の名簿は、囲い込みを早期に見つける最良のデータになる。次の兆候が繰り返されるなら、個人の日程の問題ではなく構造の問題として扱うべきだ。

  • 特定の部署で高評価者だけが候補から外れ続ける
  • 同じ人物が二期以上連続で対象から外れる
  • 部署内のOJTや職務研修の受講率は高いのに、部門横断の露出型研修だけ参加率が低い
  • 推薦しない理由が毎回「業務日程」としか記録されない

異動が止まった社員は転職より先に学びを減らす

異動が止まっても、人はすぐには辞めない。先に減るのは学びである。学んでも行き先がないと判断すれば、自己啓発の時間、社内講座の申込、資格の準備が順に消える。人材開発の指標では受講率の低下としか見えないため、原因が異動経路にあることが表に出にくい。

人材の囲い込みで異動機会が狭まった社員の実感を示す2026 Global Talent Barometerの信頼指数ページ

ManpowerGroup『Global Talent Barometer 2026』24ページ。自分の能力と経験への自信は89%である一方、組織内に昇進や異動の機会があると答えた割合は62%にとどまる。

この二つの差が囲い込みの本当の費用だ。能力は整ったと感じているのに、それを使うポストが組織の中に見えない状態が27ポイント分ある。キャリア目標に必要な技能と経験を得る機会があると答えた割合は76%だった。学ぶ機会はあり、移る先はないという認識である。

厚生労働省の令和6年度「能力開発基本調査」では、正社員へのキャリアコンサルティングを導入した事業所は49.4%まで上がった一方、自己啓発を実施した労働者は36.8%にとどまる。面談の場は増えても、そこで描いた道筋が実際の異動につながらなければ、リスキリング投資の成果は社外の労働市場へ流れていく。

囲い込みの請求書は昇格候補者の質として返ってくる

囲い込みの損失を欠員と採用費だけで数えると、規模を見誤る。より大きな損失は、応募しなかった人がいることで候補者集団そのものが劣化する点にある。

上司が引き留めていなければ応募したはずの人、つまり上司の異動によってはじめて応募した限界的応募者の採用率は49.1%と推定された。同じ期間の応募者全体の平均採用率は27.6%である。塞がれていたのは平均以下の人材ではなく、むしろ通っていた人材だった。

人事会議の言葉に直せばこうなる。社内公募の応募率が低い組織は人材が足りない組織ではなく、受かるはずの人が応募書類を出さない組織である。その状態で外部採用を増やせば、社内の検証済み候補を置いて未検証の候補を買うことになる。中途採用の難度が上がり続ける市場で、この取り違えは費用としても大きい。

女性の反応はより大きく出た。上司との関係維持を重視するという回答は男性より22%高く、キャリアの判断で上司の助言に頼るという回答も26%高かった。承認の手順が曖昧なほど、関係を気にする人から先に引き下がる。

管理職の評価に「人材輩出」を足すと形式承認が増える

ここまで来ると対策は単純に見える。管理職の評価に人材輩出の項目を足せばよい、という話だ。方向は正しいが、指標をひとつ増やすやり方では望む結果にならない。

輩出人数を数えれば、管理職は出しやすい人から出す。成果の低い部下を他部署へ移すことが、指標上は優れた輩出として記録される。受ける側はすぐ気づき、次からは公募で来た応募者を疑い始める。制度の信頼は一度崩れると回復に長い時間がかかる。

承認件数を数える方式も似た結果を生む。承認はするが異動日を先送りする、形式的に同意したうえで受け入れ側へ否定的な評判を伝える、といった行動はいずれも規程違反ではない。

指標を設計するとき、次の区別を守れば迂回の多くを防げる。

数えてはいけないもの 代わりに数えるもの 操作しにくい理由
部署から出した人数 異動から6か月後の定着率 低評価者を回すと指標が悪化する
異動承認の件数 応募受理から異動完了までの日数 先送りでは改善しない
社内公募の応募者数 部署別の応募率と社内採用合格率の差 応募を抑えた部署が表に出る
研修の参加人数 露出型研修で高評価者が外れた比率 名簿の調整が記録に残る

異動承認の期限と欠員補充の保証が本当の解除装置だ

囲い込みを解くのは説得ではなく規則である。人を出すときに管理職が負う危険を、会社が分担すると文書で約束しなければならない。要点は四つだ。

第一に、異動承認の期限を定める。応募者が最終合格した後、送り出す側が意見を述べられる期間を明記し、その期間を過ぎたら自動的に承認済みとして扱う。反対意見は理由を書いて人事へ提出させ、同じ部署から同じ理由が繰り返されるなら別途検討する。保留という状態をなくすことが狙いである。

第二に、欠員補充を異動承認と結びつける。社内異動で生じた欠員は要員計画の審議を経ずに即時の補充対象とし、補充までの期間に上限を置く。上限を超えたら臨時要員か業務再配分を会社が引き受ける。この約束がなければ他の規則は紙のままだ。

第三に、引き継ぎ期間を標準化する。その都度交渉させれば力の強い側が勝つ。職種ごとに四週から八週の標準期間を定め、その範囲でのみ調整させる。

第四に、チーム評価に異動による欠員期間を反映する。人が抜けた期間だけ目標を調整するか、評価でその期間を別に表示する。この調整がなければ、管理職は規則を守りながら損をする。

日本企業の囲い込みは要員計画と定期異動の隙間に残る

日本企業には、この問題を固くする条件がいくつか重なっている。要員が部門単位で配分され年単位で見直される構造では、欠員が出ても次の要員計画まで待つことになる。人件費が据え置かれた年には、その待機が事実上無期限になる。管理職が人を出さない理由はここで完成する。

人事部主導の定期異動と社内公募が併存している点も影響する。定期異動で動く前提があると、公募への応募は制度の本流から外れた行動と受け取られやすい。職能資格制度のもとで昇格審査に上司の推薦が実質的な重みを持つ組織では、応募を知らせること自体が賭けになる。関係を大事にする人ほど先に引き下がるという先の結果は、そのまま当てはまる。

だから日本企業で手をつける順序は、システム導入ではなく次の三つである。

  • 社内異動で生じた欠員を要員計画の審議対象から外し、即時の補充対象に分類する
  • 異動後の最初の昇格審査で異動期間を不利に扱わない基準を明文化する
  • 部門長評価におけるチーム指標の比重を調整し、欠員期間が反映されるようにする

三つとも新しい基盤を入れずに人事規程だけで始められる。逆にこの三つを残したままタレントマーケットプレイスを導入すれば、応募の入口だけが増えて承認の詰まりは残る。

順序を誤ると、リスキリング施策も同じ運命をたどる。全社でデジタル人材の育成目標を掲げ、経済産業省とIPAのデジタルスキル標準に沿って講座を並べても、修了者が動ける先が要員計画で塞がれていれば、講座は履歴書の飾りで終わる。学びと配置をつなぐのは講座の数ではなく、欠員が埋まる速度への約束である。

上司を替えるのではなく、そのポストの計算式を替える

囲い込みを見つけたとき最も多い対応は、その管理職を問題人物として扱うことだ。この対応はたいてい失敗する。次の管理職も同じ評価表と同じ欠員規則の下で働くからである。ポストをそのままにして人だけ替えれば、同じ行動が繰り返される。

変えるべきは、そのポストに座る人が毎期向き合う計算だ。人を出せば目標は調整されるのか、欠員はいつまでに埋まるのか、育てて送り出した記録はどこに残るのか。この三つに会社が具体的な数字で答えられるなら、管理職は無理に人を抱え込まない。

人材開発部門の担う役割もはっきりしている。露出型研修の参加者名簿を部署別に開き、高評価者が繰り返し外れる部署を人事とともに確認することだ。学びの機会の配分は、異動経路の先行指標である。研修の名簿ですでに塞がれていた人は、社内公募でも応募書類を出さない。

人材の囲い込みは、組織が悪い人を選んだから起きるのではない。良い上司に悪い計算式を渡した結果である。 計算式を変えないかぎり、どれほど良い人をそのポストに座らせても結果は同じだ。

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参考文献